製品に詳しい人が、わかりやすい取扱説明書を書けるとは限らない 新JISが求める「作り手の力量」
2026年8月に制定された取扱説明書の新JIS「JIS Z 82079-1」には、取扱説明書(使用情報)を作る人の「専門的力量」についての箇条があります(箇条10)。
製品のことを誰よりも知っているのは、開発した技術者です。それでも、技術者が書いた取扱説明書が、使う人にとってわかりやすいとは限りません。この記事では、その理由と、取扱説明書を書く人に必要な力を、現場の経験と新JISの内容をもとに紹介します。
製品に詳しいほど、説明が抜けていく
技術者が書いた原稿をお預かりすると、使う人がつまずきそうな箇所によく出会います。
「逆ネジ」「ネジをゆるめる」
たとえば、「逆ネジです」と書かれていても、一般の人には意味が伝わらないことがあります。「ネジをゆるめる」と書かれていても、どちらに回せばいいのかわからなくなることがあります。こうした場合は、「反時計回りに回す」「時計回りに回す」のように、具体的に書く必要があります。
「ボタンを押す」「ランプがつく」
「ボタンを押す」と書いてあると、多くの人は短く押すものだと思います。ところが実際には、長押しが正解だった、というのは「あるある」です。「ランプがつく」と書いてあって、点灯するものだと思っていたら、実は点滅だった、ということもあります。
当たり前すぎて、意識が向かない
技術者にとって、長押しすることや、ランプが点滅することは当たり前です。当たり前すぎることには、意識が向きません。その結果、初めて使う人には欠かせない説明が抜け落ちてしまうのです。
新JISが定める「作り手の力量」
新JISは、使用情報の作成は力量のある人に任せなければならないとしています。組織は、作成の作業を洗い出し、それぞれに必要な力量を見極めて、その力量を持つ人に作業を割り当てることが望ましいとしています。小さな組織では、一人がすべての作業を担うこともありうる、とも述べています(10.1)。
必要な力量の例としては、次のようなものが挙げられています(10.2から抜粋)。
- 対象者や製品のライフサイクル、提供すべき情報についての調査・分析
- 製品の開発者からの、安全に関する情報の収集
- 安全に関する情報を含む、文書や視聴覚コンテンツの作成
- 内容の構成やテンプレート、スタイル(体裁)の設計
- 校正・校閲
- 翻訳・現地語化の体系化
さらに、熟練度を3つのレベルに分ける考え方も示されています(10.3)。基本的な情報の作成から、情報製品に求められる要求事項の決定、作成プロセスの管理やチームの統率まで、責任の範囲に応じて力量が整理されています。翻訳者についても、翻訳先の言語を母語とし、製品の種類や専門用語に通じていることが望ましいとしています(10.4)。
ここで大切なのは、新JISが求めているのが「製品に詳しいこと」だけではない、という点です。使う人を調べ、情報を集め、伝わる形に組み立てる。そのための力量が、独立した箇条で求められているのです。
取扱説明書を書く人に必要な力
私が考える、取扱説明書を書く人に必要な力を3つ挙げます。
1. 初心者の目線
いちばん重要なのは、初心者の目線です。これがないと、説明を省いてしまったり、手順が抜けてしまったりします。先ほどの「逆ネジ」や「長押し」の例は、どれも初心者の目線が欠けたときに起きることです。
2. 聞く力
技術者と一緒に取扱説明書を作るとき、私が心がけているのは、「これはどうやったら、こうなるんですか」と聞くことです。
「押すと電源が入ります」と言われたら、どのくらい押すのかを聞く。「ランプがつきます」と言われたら、点灯なのか点滅なのかを聞く。そうした質問から、技術者が当たり前だと思っていた手順や条件が見えてきます。新JISが、製品の開発者から情報を集めることを力量の例に挙げているのも、うなずけます。
3. レイアウトで伝える力
意外に思われるかもしれませんが、取扱説明書を書く人には、レイアウトの力も必要です。文章と同じように、レイアウトにも意味があり、物事を伝えるために大切な役割を果たします。
たとえば、イラストにキャプションを適切に入れると、説明がイラストと一体になり、見るだけでわかるようになります。新JISが、内容の構成やテンプレート、スタイルの設計を力量の例に挙げているのは、こうした力のことだといえます。図の作り方については、「写真をなぞったイラストでは伝わらない」で詳しく紹介しています。
力量は、経験と意識で身につく
こうした力は、どうやって身につくのでしょうか。
私の場合は、数多くの案件をこなす中で、「ここはわかりにくい」「ここを省略すると誤解を生む」ということが、経験則としてわかるようになってきました。
もうひとつ大切なのは、意識し続けることです。前に書いたように、当たり前すぎることには意識が向かなくなります。だからこそ私は、制作中は常に、一つひとつの操作を意識して行うように心がけています。
外注先を選ぶときに確認したい3つのポイント
取扱説明書の制作を外注するとき、作り手の力量はどこで見極めればよいのでしょうか。制作実績を見せてもらうときは、次の3つを確認するのがおすすめです。
1. 安全上の注意が、系統立てて作られているか
国のガイドラインなどに沿って「危険」「警告」「注意」が使い分けられ、何をすればよいのかという指示が明確になっているか。また、財産の損害と製品の故障が区別されているか。安全上の注意の作り方には、作り手の知識と経験がはっきり表れます。
2. レイアウトは見やすいか
文章と図の配置、見出し、余白などが整理されていて、探したい情報にすぐたどり着けるか。
3. イラストは歪んでいなくて、わかりやすいか
形がいびつになっていないか。必要な線だけで、見るべきところが伝わるイラストになっているか。
まとめ
- 製品に詳しい人ほど、当たり前のことに意識が向かず、説明が抜けやすい
- 新JISは、使用情報の作成を力量のある人に任せることを求め、必要な力量の例や熟練度のレベルを示している
- 取扱説明書を書く人に必要なのは、初心者の目線、聞く力、レイアウトで伝える力
- 外注先を選ぶときは、安全上の注意の系統立て、レイアウトの見やすさ、イラストのわかりやすさを確認する
新JISの全体像は「JIS Z 82079-1で取扱説明書の何が変わる?」で解説しています。
当方では、ご依頼前に制作実績をご覧いただくこともできます。お気軽にお問い合わせください。
※規格の内容は、IEC/IEEE 82079-1:2019(日本規格協会の和訳)をもとに要約しています。JIS Z 82079-1:2026の本文とは訳語が異なる場合があります。